ゆるふわ〜は続かない!

思ったことを徒然なるままに。ためにはなりません。

当たり前に悲しいことはフラッシュバックする

一人で歩いている時、議論の合間に机の端を眺めた時、ふとした時に、

自分に対して向けられた(と自分では思っていた)

意図のない敵意が再帰する。

 

何のトリガーもなく。唐突に。

 

敵意を向けられた場面はとうの昔に過ぎ去ったはずなのに、

まるでその場にいるような気分になるのだ。

 

そして、世界中が敵だと思い込んで、

一人部屋の中で籠城していたあの時を再体験する。

 

ぽろり、と涙が溢れそうになる。

 

これからもこの先もこのフラッシュバックは

一生私につきまとうのだろう。

 

自分を強く持って、

フラッシュバックをKOさせるくらいに、なりたいものだ。

《休学生の就活記》インターン面接に思う

ブログを読んでくださっている皆様、こんにちは。

Kです。

 

私は、学部3年前期にうつ病に罹患し、後期から休学し、

復学して20卒として就職活動を始めた学部4年生です。

 

《休学生の就活記》では、

マジョリティーの学生とは違った今までを過ごした

私の就活体験を書き連ねて行こうと思います。

 

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先日の某企業のインターン面接。

 

面接担当者「Kさんは、一年長く大学にいるわけですけど、これは正当な理由があってのことでしたっけ?」

 

"正当な理由"って何?

正当という言葉をどのような意味で使っているのか、私気になります!

 

と思いながら、うつ病になり休学していたことを説明。

面接官、想像していなかった答えにドン引き。

 

(ていうか、面接で一から事実確認するのは時間かかるから、

経歴の確認をする前提なら、そもそもESに

「2016年4月以前に入学の方で、2020年4月以降に入社を希望される方は、4年以上大学に在学する/している理由があれば下記にお答えください」

とか書いとけばいいじゃん。)

 

面接担当者「うつ病を治すためにご自身で何か努力されていたことはありますか?」

 

ご自身で何か"努力"されていたことはありますか....?????

何をもって"努力"と言っているのか、私気になります!

 

そもそもうつ病はれっきとした病気だから、ほっとけば治るということはほとんどないでしょうよ。治療のために何かするのは必然で、それをわざわざ聞くのは、つまり「困難を乗り越えるための対処法を聞くことで、問題解決能力を図っている」ということですかね....???

 

面接担当者「うつ病にかかった原因は、何かトリガーがあってのことですか?それとも様々な状況が重なり合ってのことですか?」

 

それを聞いてどうするんですか....??????

 

そもそも面接の内容のうち、体感3分の1以上はうつ病の話をすることになってしまったんだけど、ここまでくると選考基準に沿って質問しているのか、目の前のうつ病から帰って来た物珍しい元19卒に興味が湧いて単純に質問しているのか、わかんねえなこりゃ!

 

 

これらの、個人的には?が浮かぶ質問の数々をやりとりして、御社を退出したあと、

「普通の人って"うつ病"に対して理解が浅いんだな...。」

と思いましたね。

私は、自分自身もそうだし、家族にも友達にもうつ病の人が自然といたので、久しぶりにうつに関して完全に無知な人間と話してすごく新鮮な気持ちでした。

おそらく面接担当者はうつ病にかかったことのある就活生や同僚や上司を見たことがなかったんでしょう。だから、びっくりしてしまってよくわからない質問をしてしまったのだと思います。身の回りにうつ病罹患者がいないということは、深読みをすれば「ホワイト企業」なのかな....???それか、そういう人を排除してきた企業なのかな...????

 

そんなことを考えたインターン面接でした。

面接全体としては、楽しくおしゃべりできたのでオールOK!!!!

通過の連絡待ってるよ!!!御社!!!!

デスクワークが大事か,フィールドワークが大事か?バカ言え,どっちも大事に決まってんだろ!!!!

今日,ぼーっとしてたら,ふと昔のことを思い出した.

 

某団体で,訪日外国人について行政の方にインタビューに行ったときの話.

 

相手:「ここの街の外国人の人口はだいたいどれくらいか知ってますか?」

私:「(HPで見たやつや!)◯千人ですよね,確か.」

相手:「それは県の人口ですね,正しくは〜」

 

いや,めちゃくちゃ失礼なことしてるじゃん.わざわざ時間を取ってもらっているのに,調べた気になって正しい数字すら答えられない.

具体的な問いや問題関心も定まってないから,本質的な問いは何も出てこない.

現状の説明を受け,疑問点を解消しているだけ,という状態.

(もちろん,その後の関係構築はない,というかできませんでした.)

 

相手の領分に入って行くとき,最低限知っておくべきレベル・押さえておくべき質問.それらを定めるための事前学習をしないと,こんな風になりますよ.という典型例ですね.

 

座学で学ぶことなんて,つまんないし意味がない〜それより実践的に体験の中で学んで方が結局効率いいんじゃない?本を読むにしても実践的な本の方が好きダナ〜〜というデスクワークを軽んじる人間の典型だった私.結局私の好きなフィールドワークの中でも,デスクワークをやってきてる人間の足元にも及ばない程度の質問しかできないし,想像的な発想なんて全くできないんですよね.

 

勉強の方法として,”体験の中で学ぶこと”,ー例えばインターンであるとか人との対話であるとか,が奨励される環境も割合多いけれど,それが”デスクワーク”を前提としたものだということを,私は全人類に叫びたい(私以外の人はもう知ってると思うんだけど,改めて)

 

デスクワークvsフィールドワーク?無駄な問いをするんじゃねえ.

どっちもしなけりゃ,意味がないんだぞ!!!!!

慢心するなよ!!!!!と過去の自分に叱責した今日の昼下がり.

 

 

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あの時,なんで私は頑張ってるのに共感してくれる人がいないんだろう,大人って厳しいな,結局プレゼン能力や資料作成能力の問題なんじゃないか,なんでだろう,なんでだろう…なんて思っていた自分のことが,本当に恥ずかしい.うまくいかない原因なんて,明白じゃん.というか,今までやってきたこと全てに関して,それが言えてしまう.

 

やっと事前のデスクワークの大切さは身にしみてわかるようになったけれど,もっと早く気づいておきたかった.今悔やんでも遅いけど,そしたらもっと結果は違ってただろうな.と思いましたね.本当に今更だけど.

最近思うことととりあえずの目標

 

お久しぶりです。

本日から新学期ということで、心機一転ブログを書いています。

 

今回の内容は、大きく分けて3つで、

1,この一年の振り返り

2,それから学んだこと(最近思うこと)

3,半期の目標

です。

 

1,この一年の振り返り

 このブログを読んでいる方で、私にしばらく会っていない人は、一体私に何が起き、何を思ってこの一年過ごしていたかわからず、心配をかけていると思うので、簡単に説明します。

 

2016年12月:

自分の将来のありたい姿や目標が曖昧なまま、目の前の目標作りに時間を費やし、自分でも自覚がないまま心身が疲労する。

 

2017年1月~ 3月:

頑張り続けようとした結果、その状態を維持することが段々と難しくなる。なんだかいつもだるさがある。

 

2017年4月:

これまでの自分の経験や学びを人に話す機会が増えるが、自分が本心で思っていることと口から出る言葉に乖離があることを認識しながら話してしまう状態が続く。その他のことも含め、"頑張ろう"とするが、頑張ることができる時間が以前と比較して更に短くなっていく。

 

2017年5~6月:

部屋のカーテンを開ける気力すらないほどの無気力状態に陥り、それが続く。

 

2017年7~9月:

長期休暇に実家で特に何をするわけでもなくのんびりと過ごす。

精神状態は、少し良くなったが何かを頑張る気持ちにはなれない。

 

2017年10月:

一度仙台に戻り友達と話してみたものの、やはり何かを頑張る気持ちにはなれず、再び誰とも連絡をとりたくなくなる。

 

2017年11月:

住んでいた部屋を引き払い、大学を半期休学することにする。

1ヶ月弱、家に引きこもる。下旬頃にフルタイムのパートを始める。

 

2017年12月~2018年2月:

フルタイムのパートをしながら、時々友達と会う。

この頃には、普通に生活できるようになり生きる気力が湧いてきた。

 

2018年3月:

パート先を退勤し、普通自動車免許を取る。

再び仙台に引っ越す。

 

2018年4月:

大学に復学。

 

こんな感じの一年でした。前記事にも書いたのですが、要はうつ病というやつで華の20歳、2017年は特に何もしていない一年になりました。うつ病になったことは、仕方ないことだし今となっては別にどうってことないのです〜。今は私は元気ですので、ご心配していただいた皆様、どうぞご安心くださいませ。

  

2,それから学んだこと(最近思うこと)

 以上を踏まえて、最近思うことは以下の3つです。

  ①相手を慮ることの大切さ

  ②人は意外と優しいこと

  ③自分の感情を無視するな

 

①相手を慮ることの大切さ

 私たちは、小さな時から「◯◯って言ったら、▲ちゃんはどう思うかな?悲しいと思うよね?じゃあやめようか。」というように、”相手を慮ること”を言動の基準の一つとするように教育されてきました(少なくとも私の周りではそうでした。)小さなときは、◯◯に入る言葉が、直接的な悪口であったりするので非常にわかりやすいのですが、大人になるにつれコミュニケーションは複雑になり、発言後の相手の気持ちの判断が難しくなってきます。また、言動の基準も相手への要求や自分の願望・下心などが交錯し、”相手を慮ること”が占める割合が低くなることも少なくありません。

 特に厄介なのが、 「相手の成長や利益の為の発言」です。これは相手のことを思いやった結果、生じたもののように見えがちですが、発言者にとっては相手が発言を受け止めた後の成長や利益への行動が重要なため、その発言を相手が受け止められるか・受け止める過程でどのような精神状態になるのかという視点が抜けがちになる、と私は思います。「あなたの為だから」という魔法のような言葉が隠れ蓑になり、無意識的に相手を傷つけている可能性が不可視なものとなっているのです。

 上記のことは私が経験から思ったことなのですべての人に当てはまるかはわからないのですが、少なくとも私は、「あなたの為」の発言は有って然るべきだけれども、自分が発言する時は、その発言によって相手が傷つくかもしれない、大きく言えば相手の人生が変わるかもしれないということを念頭に置いて、発言しようと強く思います。(ごちゃごちゃ言ってますが、発言する前に「◯◯って言われたら▲ちゃんはどう思うかな?」という風にワンクッションおきますねっていう話です。)

 

②人は意外と優しいこと

 いや〜人って本当に意外と優しいですよね。私が連絡をぶちっと切っても、家族は言わずもがな、心配して連絡してきてくれる人はいるし、本当はどう思っているかわからないけど仲良くしてくれる人もいるし。あ〜いい人たちが周りにいてよかった!!どうもありがとう!!これからもどうぞよろしくね!!!!

 

③自分の感情を無視するな

 疲れやだるさやイライラ、怒りetc...特にマイナスの感情を無視するな。人間だもの、疲れたり怒ったりしますよね。人にイライラすること、この程度で疲れてしまうこと、その感情を持つこと自体が恥だとか生産性がないとか、絶対ないから〜。その感情を認識して受け止めて、それからどうにかしていけばいいから〜。今私疲れてる!とか怒ってる!とか愚痴ったりして全然いいから〜。いつも論理的で合理的である必要はないから〜〜〜。ね、自分に正直に生きましょう。

 

 

3,半期の目標

①月に2~3回は友達と必ずご飯を食べにいこう。(定期的にちゃんと人とお喋りするのっていいですよね。)

②学んだ事柄について自信を持って人に話せるようになろう。(私社会学専攻なんですけど、現状自分の中で自信を持てる社会学の定義ってないし、研究室の同期とすごい差が開いちゃったと思うので、挽回します。未知であるから嫌いって一番カッコ悪いもんね。)

 

とりあえずは以上!目標甘くない?とか具体的じゃなくない?とかツッコミがくるかもですが。

 

p.s.

色んな人にお食事のお誘いをすると思うので、その時はどうぞよろしくお願いします〜。

水族館と動物園とベニーランドに行きたいです、行きたい人一緒に行きましょう。

 

ここまで読んだ人すごい!ありがとう!またブログ書くのでコメントなり読むなりしてくれると嬉しいです🐧

 

それではまた〜。

結局何も変わってないよという話

夏休みずっと実家にいました。思い出に残ったことを順不同に書いていきたいと思います。

 

熊本に行きました。

両方の兄が熊本にいるので会いに行きました。阿蘇のミルクロードをドライブして大観峰から阿蘇の街を見渡しました。そして赤牛丼で有名なお店に並んで、舌鼓を打ちました。赤牛はその名の通り赤身にぎゅっと味が詰まった 肉で噛めば噛むほど旨味が溢れてくるようでした。また、三井グリーンランドというとても田舎の遊園地に小学生ぶりに行きました。小学生ぶりに乗ると絶叫系って怖いというより痛いという感じなんですね。熊本市内では、震災から復興しつつある熊本城を見学したり九州の中では福岡に次ぐ発展ぶりであるアーケードを見たり、タイピーエンを食べたりしました。有数の観光スポットである水前寺公園でいつぞや訪れた兼六園より規模こそ小さいもののとても美しく私の記憶に鮮やかに刻みこまれました。

 

釣りをしました。

この前帰った時にはサビキの仕掛けで小さな鯖が入れ食い状態で釣れていたのですが、夏が終わりに近づいていることもあり岸壁から釣れる小魚は限られてきます。少し遠くへ投げるとキスやグチ(イシモチ)、タチウオなどが釣れるのですが、何分我慢ができない性分で私には"待つ"釣りは向いていません。ただ、日没直前に糸をたらすと少しばかり成長したアジが"待たずに"釣れますし、日が暮れたのち湾内にたらすとそれこそ入れ食い状態で極小〜小くらいのアジがわんさか釣れました。何回釣りに行ったのかは記憶が定かではありませんが、大体アジだけで150匹は軽く釣り上げたのではないかと思います。また、スーパーで4匹パックで売っているものより一回りばかり小さな真鯛も岸壁から釣れます。ただ、アジと違ってタイは骨やヒレがしっかりしているわりに身が少なく小さい内はあまり美味しくないので釣れても殆どリリースしていました。

釣りは釣っている間は本当に楽しいのですが、家に帰ると魚の処理をしなくてはなりません。しかも私たちが釣ってくる魚は小さく、量も多いので処理が非常に面倒くさいのです。アジやタイは刺身・みりん干し・一夜干しなど、キスやグチは刺身・煮付け・塩焼き・野菜あんかけなどにして楽しみます。特にアジのみりん干しは絶品で小さいモノで作るとまるでせんべいのような味わいになります。今度釣りに行く時はアラカブを釣りたいです。あれは身がぷるりと骨から外れる極上の煮付けになるのです。アラカブという呼称自体は方言らしく、カサゴが正式名称のようです。

 

コスメにはまりました。

特にやることもないので、新しく女の子らしい趣味を持とうと思い、コスメの情報収集をしていました。世の中には今まで目を向けていなかっただけでたくさんの可愛らしいコスメに溢れていて、見ているだけで楽しくなります。少し大きいドラッグストアに行けば、比較的安いコスメを永遠と眺めることができますし、勇気を出してデパートのコスメ売り場に入れば高級感溢れるパッケージに入った魅力的なコスメたちを拝むことができます。私は自分で稼いでいる立場ではないので、流石にデパートコスメ(デパコス)に手を出すわけにはいきませんが、ドラッストアコスメ(ドラコス)は口コミを調べていくつか気になるものを購入しました。話題になっていたフローフシの38℃リップやモテライナー、ロレアルパリのクッションファンデ等々。口コミ通り効果があるのかと言われればそうではないものもありましたが、新しく自分の下にやってきたコスメを見ると心が安らぎます。自分で稼ぐようになったらルナソルのスキンモデリングアイズ、Diorのマキシマイザー・アディクトリップ、RMKのチーク、SUQQUのリップとシャドウ、Make Up Foreverのパウダーとコンシーラー、Shiroのサボン、ADDICTONのザアイシャドウ、MACのリップとシングルアイシャドウ、コスメデコルテのリップ、ジルのリップ、YSLのリップや化粧下地、Paul&Joeの下地等々を少しずつ買い揃えたいと思っています。その中でもルナソルを一番に買おうと心に決めています。

ただコスメにはまってもお化粧の方は一向に上達しないままなので、そちらはおいおいということで...。

 

心療内科に行きました。

ずっと行こうかな行くまいかなと悩んでいたのですが、先日えいやと勇気を出して行ってみました。看護婦さんがとても上品な方で、先生も小学生の時の民泊先のおじちゃんに似ている人でした。人ごみに行くと気分が悪くなる、ずっと眠い、疲れやすい、夜とんでもなく不安になる等々の症状はあったのですが、不眠症ではないし幻覚も幻聴もないので、まあ気のせいでしょ!時間が経てば自然と治るでしょ!多分鬱じゃないんじゃないかと明るく捉えて数ヶ月程度生活していたのですが、一向に治る気配もなく、むしろ悪くなっていて、いざ診療してもらうと鬱だとの診断でした( ;  ; )。人ってこんな簡単に鬱になるんですね。別に一回病院に行った程度で、私の症状が軽くなるわけでもないし、道が開けるわけでもないし、ただ私の今の状態が鬱であると名前がついた"だけ"なんですよね。でも行かないよりはましだったんじゃないかなとは思います。知識がないのもあって、心療内科ってなんだか得体の知れない感じだったのですが、中は普通の病院に少し温かみを足した感じで先生はうんうんって親身に私の脈絡のない話を聞いてくれました。待っている間に他の患者さんをお見かけしたのですが、やっぱり見た目だけでは病院に通っている人とは思えないし、私よりも普通そうな見た目の人しかいませんでした。静かに入ってきて静かに出て行く。他の病院とさして変わりません。多分。見た目ではわからないものだし、鬱と診断された私でもちょっと我慢すればスーパーに買い物に行けるし、混んでるドラックストアだってデパートの化粧品売り場だって、遊園地だって行けちゃうんです。多分夢の国にも行こうと思ったら行けるし、何なら海外にだって行けちゃうと思うんです。でも、たとえ自分の趣味をしていても美味しいものを食べていても美しい景色を眺めても、心の半分は常に不安が付きまとっていて心の底からそれを楽しむことができないのは確かで、くすっと笑うことはできても口を大きく開けて笑うことはできない。その一瞬楽しいことをすればそれだけ孤独感や喪失感がやってくるし、外に出たくなくなるし、そういうものです。普通ってなんだって話ですが、普通の人よりちょっと不安の割合が多い状態なんだと思います。だから何だって話ですが、伝えたいことがあるわけではないので話を続けます。

 

おばあちゃんの家に行きました。

おばあちゃんの家は私の家から40分くらいのところにあって、一軒家です。黒猫のチェリーが飼われていて、一緒に庭や座敷で遊びました。飼い始めた5年前は野良猫を拾ってきたので警戒心の塊だったのですが、今では座っていると遊ぼうと誘ってくるし、抱っこしても大丈夫なくらいすっかり家猫になりました。彼女お返事ができるのですが、返事をするときは自分の名前を呼ばれたときか外に出たいか聞いたときかお腹が空いているか聞いたときだけです。それ以外は返事をしません。もしかして人間の言葉がわかってるんじゃないかしら。

 

私のここ最近の2ヶ月はこんな感じです。連絡してくれたけど返してない人たち、もしもブログ見てたらごめんなさい。本当に最近したことを書き連ねただけなのですが、これで終わりです。

 

無題

仙台はしとしとと雨が降り続いています。この土地は台風こそ来ませんがその影響は十分受けているようです。台風と言えば、小学生の頃は台風が来るたびに家にこもり家族で映画など見たものです。昨今は台風が来たとしても以前ほど大きくなく家に籠らなくてもよくなったように感じます。進路の関係かはたまた環境の変化の関係か。

 

今私はそんな雨降り続く仙台でこの文章を書いています。荒れていてLes Misérablesが流れている小さな部屋。何者にも不可侵な自分だけの空間。物理的に不可侵な空間が自分の部屋だとすれば、精神的に不可侵な空間はどこなのか。

 

今まで関わった人はいい人ばかりだったと思うことが多いです。自分の利益関係なく面倒なモノに関わってくれるし心配もしてくれます。見返りを求めない優しさや愛に枕を濡らすことも少なくありません。最早evenの関係性ではないのでいつかこの関係性も破綻するのではないでしょうか。

 

”雨に花散る”と字面だけ見ればさも美しいもののように思えますが、降り続く雨に耐えきれず地面に落ち、踏まれ潰され美しい色を止めることも叶いません。太陽が照らせば賞賛されていたものもひとたび地に落ちれば誰の目にも留まらず泥の色に侵されるだけ。泥色さえも愛することができればあるいは、とも思いますがそれを許すこと叶いましょうか。

 

思ったことを口にすることは大事であるということをここ数年で学んだことですが、同時にその危うさも同時に学んだことでそれらのバランスは極めて難しいという平凡な結論に至っただけでした。泡のように消えてなくなりたいと思っても、口にすれば聞いてしまった人に悲しみを覚えさせるだけ。大切な人ほど傷つけたくない。特に家族は。これは歪んでいるのか。それとも逃げているだけか。

 

雨はやがて土地に染み込み実りをもたらすもの。過ぎ去ればそれほどでもなかったと次の実りを待ち望む。それでよいではないか。今吹きさらされようともいつか報われると思えば。いかに苦しかろうともいつか芽が出る。運悪く根腐れさえ起こさなければ。根腐れを起こさない確証はなかろうとも。そこに咲く花は以前と同じだけの数なのか。人知れず死んでいった花はないか。

 

やっと帰る。雨の降る街から太陽が降り注ぐ街に。待ち望んでいた。両親や兄弟と気ままに釣りでもして。手料理が食べたい。何も気にすることなく笑って、泣きたい。感情の赴くまま美しい街を散策したい。なんのしがらみもなく。過去に囚われず。もう雨に囚われたくない。一人で生きたくない。この安息の地安息を与えてくれる人々を失ったら?考えたくない。家族を誰一人失いたくない。まだそれが先だとしても考えるだけで心乱れてしまう。自分で道を切り開かなくてはもう失うだけの人生になるのだろう。

 

愛される為にはそれ相応の努力が必要で、道端の花さえもそう。苦しみを押し殺して幸せを享受する為にただただ前を向いて。その努力を怠ったものには絶望しかない。知っているそんなことは。

 

目の前にあるのは絶望しかない。それから逃れる為にいなくなる。もう戻らない。

ごきげんよう、さようなら。 

 

P.S

これを読んでいるかわからないけど

随分前だけどブログ読みました。私のことを心配してくれてありがとう。仲間だと思ってくれてありがとう。スリッパの片割れだって私も思ってたよ。

毎日が学びの生活がしたい!

本当にブログします!と言ってからこの記事を投稿するまで何日たったことやら...という感じですね。(いくら更新頻度がゆるふわって言っても、これはゆるゆるゆるゆる..ですね)

 

さて、今回の話題は毎日が学びの生活したい!ということです。

 

これは、前に私が所属している団体で、「理想のインターンってなんだ?」ということを考えた時に思いついたことです。理想のインターンっていうのは、毎日が学びで、帰ってきた時に、その学びが口から溢れ出てきて止まらないようなものなんじゃないかって。

 

でも、これは別に"インターン"という非日常な空間の中でなくても、できることだし、毎日が学びです!って言ってる人って多分毎日充実してて、楽しい人生を送っている人なのだろうな〜と思います。

 

毎日が学びの生活ってどうしたらできるのかしら...。

 

ということで、考えてみました笑!

毎日が学びの人の理想モデル(大学生ver)

  • 朝 6:00 起床(できる人は少なくとも6:00には起きてるイメージ)

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朝日を浴びながら自然に目がさめる。とても気持ちが良い。

 

  • 朝 6:10 朝食(簡単でも朝食を食べる)

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 手軽なものでも、盛り付けを怠らないことが重要。たぶん。

 

  • 朝  6:30 朝の読書または新聞

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この時間に英語など勉強してもいいかもしれない。

学びpoint! 朝から新しい知識を得ることを怠らない!常にアンテナを貼ること

 

  • 朝 8:00 支度を済ませ、ラッシュを避けて優雅に登校

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学びpoint! せかせか登校するのではなく、ゆったりと登校することで季節の移り変わりや街の変化に気づける

 

  • 朝〜夕方 講義に出席

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学びpoint! 寝るわけでもスマホをいじるわけでもなく真剣に講義を聞く。講義の内容を他の講義と関連させながら受講する。予習と復習をする。→新たな知見が得られる。

(大学の授業ってつまらないって人多いですけど、ちゃんと聞けば面白いですよ)

 

  • 空きコマ 何かのMeeting, 読書, おしゃべり

空きコマを有効に活用する。

学びpoint! 読書以外だと人と喋ることで、自分の考えをアウトプットしたり、逆に人から新たな知見を得る。

 

  • 夕方 18:00 バイト

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なんのバイトでもいいので、面白いと感じるようにする。

学びpoint! 自分が嫌な仕事でも面白くすることで、新たな知見は必ず得られる!

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

え、当たり前じゃん。。。

そんな生活普段からしてるよ。。。

 

と、思いますよね。

 

 

 

 

つまり、何が言いたいかというと、

理想の学びに溢れた生活っていうのは、

別に特別なものではなくて、

「日々転がっている経験を自分にとっていかに学びであるか見つめ直すことが重要だ」

ということです。

 

確かに、何か成長できる機会に飛び込んだり、人に会いに行ったりすることは重要ですが、日々の何気ない日常を学びにしていくことも重要ではないでしょうか。

 

日々刺激がない、学びがない、と感じている人は、その環境に文句をいうのではなく、

まず自分の行動から見つめ直してみたら、何か変わるかもしれないですね!

 

毎日が学びの生活、私も心がけます!

学べないことがないことはないのだから!!

 

まとまりのない文章を読んでいただきありがとうございました。

また、お目にかかる日まで〜👋